2012/12/26

琵琶湖第一疎水 第一隧道東口・閘門 ~ 滋賀県大津市

琵琶湖疏水は琵琶湖とを京都市街に運河を設けて、船運による輸送と水力による動力源を得るために計画された巨大プロジェクトでした。

第一疎水には3つのトンネルが掘られましたが、第一隧道(長等山トンネル)は全長2.4kmあり、当時日本一の長さでした。

伊藤博文筆の「気象萬千」(千変万化する気象と風景の変化は素晴らしい)と書かれた扁額が掲げられた第一隧道東口(明治23年)。

第一隧道の手前にある大津閘門(明治22年)。
閘門は水面の高低差があるところを2つのゲートを使って船が通過できるようにするものです。

この先に第一隧道があります。 全長11.3kmの琵琶湖疏水のスタート地点です。

琵琶湖疏水に関わる施設は他にもインクライン、南禅寺水路閣、蹴上発電所などたくさんあります。
 これらの事業は、当時遷都によって活力を失っていた京都が近代化していく上で大きな基盤となりました。



2012/12/23

出島の灯台 ~ 滋賀県大津市

久しぶりに更新します。

この一ヶ月間、ずっと冬休みの旅行の計画を立てていました。
予定では山口から広島へ向かって、尾道からしまなみ海道を通って愛媛県へ。別子銅山跡などを見て、また広島にもどるという壮大な計画です。

近代建築ではないのですが、時間に余裕があれば高知市の『沢田マンション』も見てみたい!けど、無理だろうなぁ・・・。
もし行けたらブログで報告したいと思います♪

というわけで、出島(でけじま)の灯台です。

滋賀県大津市のJR堅田駅から2km位歩いたところに、明治8年に建てられた変わった形をした灯台があります。
灯台は木造で高さ7.8m、四隅の柱と中心の支柱の計五本の柱で支えられています。
一時は台風により倒壊寸前になったのですが、地元の熱心な保存運動によって現在の姿に復元されたそうです。



出島の灯台





2012/11/18

新宿御苑 ~ 東京都新宿区・渋谷区

新宿御苑は以前から行きたいと思っていたのですが、なかなか機会がありませんでした(近いのに)。前回の赤坂璃宮を見に行った時に時間が余ったので、急遽行って来ました。

もともと皇室の御料地だっただけに、園内にはいくつかの近代建築が残っています。

旧大木戸門衛所 - 昭和2年



 旧洋館御休所 - 明治29年
※国重要文化財




 旧御涼亭(台湾閣) - 昭和2年
※東京都歴史建造物



擬木橋 - 明治38年
木を模した鉄筋コンクリート製の橋で、フランス製です。


下調べをしないで行ったので、園内を歩き回った挙句、旧新宿門衛所(昭和2年)は見るのを忘れてしまいました・・・。

2012/11/04

迎賓館赤坂璃宮 ~ 東京都港区


11月1日から11月3日まで迎賓館の前庭公開が行われていたので、行ってきました。内部には入れないのですが、申し込み不要で入場でき、外観を間近で見ることができました。

明治42年に片山東熊の設計により、 当時の皇太子殿下(大正天皇)のご成婚後の新居として、東宮御所(赤坂璃宮)が建てられました。
しかし、殿下が実際に住むことはなかったそうです。後に昭和天皇が数年間利用されたことがあったそうですが、戦後、建物と敷地は国に移管されました。

その後、公館や庁舎として利用されていましたが、昭和49年に5年余りの改修を終え、『迎賓館赤坂璃宮』となりました。
平成21年には国宝に指定されています。







来年の『迎賓館赤坂離宮参観』には必ず応募して、主庭の噴水や館内を見学したいと思います!

抽選に当たればの話ですが・・・。

2012/10/31

百々貯木場跡 ~ 愛知県豊田市

百々貯木場は大正7年に地元の材木商だった今井善六によって造られました。上流から丸太で流されてきた木材をここに集積して、筏に組み直して下流に輸送していました。

・豊田市指定文化財
・土木学会選奨土木遺産

貯木池を上からみたところ。
面積5000平方メートルの巨大な人工プールです。
木材を種類別に保管できるように、6本の仕分け用突堤があります。

樋門の向こう側には矢作川が流れています。
樋門の手前は製材所に木材をあげるためのスロープです。

この樋門から木材を搬入していました。
樋門を含め施設の主要な部分は、『たたき』と呼ばれる人造石工法によって造られています。

現地の案内板。

このスロープを登ったところに製材所がありました。

製材所跡。こちらにも人造石が使われています。

昭和4年、矢作川上流に越戸ダムができるとともに、百々貯木場の役目も終わり、長い間土砂に埋もれていました。

その後1988年から1993年にかけて豊田市教育委員会によって発掘、補修され公園として整備されました。



2012/10/28

旧水海道小学校本館 ~ 茨城県水戸市

この建物は明治14年に水海道村に小学校として建てられました。
木造2階建てで、下見板張や上げ下げ窓、柱付きの玄関部分など洋風建築の要素を取り入れた『擬洋風建築』になっています。

当時の水海道の宮大工棟梁であった羽田甚蔵が、横浜まで見学に行って設計・建築にあたったそうです。

現在は当時の場所から水戸市内の県立歴史館の敷地内に移築保存されています。










2012/10/22

旧常磐線 金山トンネル (その2) ~ 福島県双葉郡楢葉町

到着しました。トンネルも草木に侵食されつつあります。
金山トンネルを含む旧常磐線のトンネル群は、日本初の私鉄である「日本鉄道」によって造られ、その後国有化されました。

日本鉄道の社紋です。蒸気機関車の動輪をモチーフにしています。

写真ではわかりづらいですが、中央部が高くなったデザインになっています。
鉄道トンネルでここまで凝った意匠を持つものは珍しいと思います。

トンネル内です。
入口付近は苔で覆われていました。黒くなっているのは蒸気機関車のススでしょうか。

枕木が残っていました。

トンネル内から来た方向を振り返ります。
ここをまた戻らなければいけません・・・。

少し時期が早かったかなと思いましたが、トンネルが無事に残っているのを確認できて安心しました。

今回は周れませんでしたが、常磐線沿線には他にも数多くの煉瓦トンネルが残っているので、日を改めて訪れようと思います。


2012/10/21

旧常磐線 金山トンネル (その1) ~ 福島県双葉郡楢葉町

金山トンネルには以前訪れたことがあるのですが、その時は時間がなかったのと準備不足でたどり着けませんでした。
そこで今回リベンジに向かいました。

現在、常磐線の金山トンネルのある区間は東日本大震災により営業を休止しています。
そこで、現行の金山トンネルまで線路上を歩いて行く事にしました。

線路上は既に草で覆われていて、線路が見えないほどでした。

600メートルほど歩いて、ようやく現金山トンネルが見えてきました。

事前に調べた情報だと、現金山トンネルの左奥に旧金山トンネルがあるらしいのですが、道がありません・・・。

ここで引き返すわけにもいかないので突入しました。
目指すトンネルはこの先です。

無我夢中でヤブをかき分けて行くと、ついに見えてきました。
(この写真はカメラを取り出せない状態だったのでスマホで撮りました。)

  その2に続く




2012/10/15

猿島砲台 ~ 神奈川県横須賀市


日曜日に猿島に行ってきました。
猿島~観音崎と回る予定だったのですが、猿島から戻る直前に雨が降ってきたので、観音崎はあきらめて帰って来ました。

猿島砲台は戦前の東京湾要塞の一つで明治17年に造られました。
島には深い切通の道があり、その壁に弾薬庫や兵舎が配置されています。






これらの建造物には愛知県東洋組製造の煉瓦が使われていて、全国的に数少ないフランス積みで積まれています。






中央のトンネル内には司令室・弾薬庫・兵舎が2階建て構造で掘り込まれています。









明治政府が東京湾防衛のために建造した猿島砲台も実戦で使われることはありませんでした。