2014/09/12

岩手県盛岡市の近代建築 (その3)

上の橋(昭和10年)
与の字橋から上流に向かって歩いて行くと、和風の高欄が付いた橋が見えてきます。
この高欄に付いている擬宝珠は初代(慶長14年)の時から付いているもので、国の重要美術品に指定されています。
橋脚にも灯籠を意識したのか小屋根の付いたデザインが施されています。

旧石川県令私邸(明治19年)
この蔦で覆われた建物は、2代目の県令だった石井省一郎の私邸として建てられた洋館です。
裏側は比較的蔦も少なく、1階と2階で異なる窓のデザインも確認できます。

旧工藤勝四郎家所有煉瓦建物(明治45年)
現在は東北総業という会社の事務所として使用されています。

旧宣教師館(大正9年)
下ノ橋教会に派遣された宣教師の為の住居として建てられました。
現在は桜城河北地区市民センターとして使用されています。

岩手大学農学部のキャンパスには盛岡高等農林学校時代の遺構がいくつか残っていて、重要文化財に指定されています。

 旧盛岡高等農林学校 正門(明治35年)  国指定重要文化財
 旧盛岡高等農林学校 門番所(明治36年) 国指定重要文化財
 旧盛岡高等農林学校 本館(大正元年) 国指定重要文化財
旧盛岡高等農林学校 同窓会事務所(昭和3年)


旧宇津野発電所(明治38年)
岩手県内現存最古の発電施設。

盛岡市の最後は米内浄水場(昭和9年)です。
ここは市街地からはちょっと離れているので車で行ったのですが、門が閉まっていたので外から眺めるだけでした。

門の向こうに3基並んでいるのが、緩速ろ過池調整室です。 うーん、近くで見たかった。
こちらは八角形の出水井。 この隣に事務所もあったのですが、木に囲まれていてよく見えませんでした。 これらの浄水場内の建造物は、登録有形文化財に指定されています。
  浄水場の少し上流にある、取水堰堤。 規模は小さいですがRをつけた石積みが美しいです。


以上で盛岡市の近代建築と土木遺産はおしまいです。
山形市や弘前市でも感じたのですが、盛岡市も街として積極的に近代建築を活用しているなと思いました。 どことなく昭和な雰囲気も残っていて楽しめました。
今回訪れることが出来なかった建物もいくつかあるので、また機会があれば来たいです。

2014/09/07

岩手県盛岡市の近代建築 (その2)

盛岡市の続きです。

旧盛岡銀行本店 (明治44年)
岩手銀行の本店本館、中ノ橋支店として使われ続けてきたこの建物は、現在一般公開に向けて改修中でした。  設計は辰野金吾と葛西萬司の辰野・葛西建築設計事務所。
期待していた建物だけにちょっとがっかり。

盛岡信用金庫本店 (昭和2年)
こちらは鉄筋コンクリート造りで、盛岡貯蓄銀行の本店として建てられました。
盛岡出身の葛西萬司による設計です。
6本のオーダーが並んだ重厚なスタイル。
 裏にまわってみると凝ったデザインの通用門がありました。

もりおか啄木・賢治青春館 (明治43年)
銀行建築第3弾は旧第九十銀行本店です。 現在は1階に喫茶室が入り、展示ホールなどに利用されています。
訪れた時は「欧米のポスター100」展が開催されていました。

南側の壁面。 タイル貼りに地元川目産の花崗岩を使用した装飾が施されています。
 1階の天井には巨大なレリーフ。


小原写真館
 肴町商店街をぶらぶらしていて発見した建物。 ネットで調べても詳しい情報は得られませんでしたが、おそらく戦前の建物ではないでしょうか。 我ながらすごい嗅覚。
どうしてこうなったかは不明ですが、人魚のレリーフがインパクトありすぎ!

紺屋町番屋 (大正2年)
下見板張りの木造2階建に望楼が付いた洋風の消防施設。2005年まで盛岡市消防第五分団の屯所として使用されていました。
「火の用心」の標灯がレトロ。 よく見ると持送りのデザインも洒落ています。
六角形の望楼の先端には避雷針が付いています。


与の字橋 (大正14年)
紺屋町番屋のすぐ近くに架かっている大正期のRC桁橋。 
紺屋町番屋はかつて盛岡消防よ組番屋という名前で、そのよ組が消防活動に必要だからと橋を架けたのが名前の由来だそうです。
5列の井桁が並ぶ橋脚部分。 右に望楼が見えます。

 続く。