2015/07/26

東京都庭園美術館 「アール・デコの邸宅美術館」〜 東京都港区

金曜日に東京都庭園美術館で開かれている「アール・デコの邸宅美術館:建築を見る2015+ART DECO COLLECTORS」に行ってきました。

旧朝香宮邸は先日国の重要文化財に指定されましたが、その建物自体を鑑賞する展覧会が定期的に開かれていて、この期間の平日のみ内部の写真撮影が行えます。
去年の秋のリニューアルオープン時にも来たのですが、やはり今回も来てしまいました。

今回もたくさん写真を撮ってきたのですが、これから見に行く人もいると思うのでちょっとだけ載せます。


3階のウィンターガーデンと呼ばれている部屋は今回も公開されていませんでした。下の写真は2011年の時のもの。

今回の展覧会は3名のコレクターによるアール・デコ期の作品がいたるところに展示されていて、まさにアール・デコの館といった趣でした。前回の建物公開に行った方も楽しめると思います。
新館のギャラリーにも家具や調度品、カッサンドルのポスターやルネ・ラリックの作品が展示されていて素晴らしかったです(新館は撮影禁止)。

前回はまだ入れなかった庭園から。 この日は暑かったのですが、木陰でスケッチをしている方がたくさんいました。


何度来ても素晴らしい建物です。期間中の毎週金曜日は夜9時まで開館していて建物のライトアップもされているそうなので、仕事帰りにまた来ようかと企んでいます。

この日は夕方から雨が降るという予報だったので、ライトアップはあきらめて駒場にある旧前田侯爵邸へ向かいました。






2015/07/23

斎条堰・大和橋 〜 埼玉県行田市

行田市駅から北へ3kmほど行った所に鉄筋コンクリート造りの水門と橋があります。
斎条堰は星川から酒巻導水路へ分水するための水門で昭和7年に造られました。それに付随して道路橋(大和橋)が架けられています。
ここは初めて来たのですが、水門も橋も装飾が多くて見どころがたくさんありました。

  全部で4門ある水門の水切りには渦巻き状の装飾が施されています。

 ゲート部分は昭和51年に改修されています。
大和橋には前回の小谷橋と似た装飾の柱がありました。
 欄干には尖塔アーチの開口部と星をモチーフにしたレリーフが。
 そして下流側の側面には持送りと渦巻きの装飾。
 想像していたよりも立派な橋でびっくりしました。 もっと早く来るべきだった。

斎条堰に来たついでに星川の1kmほど上流にある馬見塚橋にも行ってみました。
昭和10年竣工の橋ですが、高欄のデザインが変わっています。見た瞬間「表現主義」という言葉が頭に思い浮かんだのですが、帰って資料を見てみるとやはり同じような事が書いてありました(笑)
 吊橋のような曲線を描く高欄。渦巻き模様が流行っていたのでしょうか?
 橋のたもとには文化4年と安政5年に建てられた馬頭観音がありました。この橋が架けられる以前からこの地域では主要な街道だったのでしょう。
 個人的にはこの橋はかなり気に入りました。 土木学会のランク付けではCランクだったのですが(斎条堰はBランク)、こういうのがあるから侮れません。





2015/07/22

埼玉県の古レール3連アーチ橋群 〜 埼玉県行田市・鴻巣市

ここのところ、近代建築や近代化遺産と関係ないものを紹介してきましたが、初心に帰って埼玉県の橋巡りをしてきました。

戦前の日本では耐用年数が経過したレールを再利用して建築資材として利用していたそうです。 確かに全国の古い駅舎などを周っていると、ホームなどに使用されているのを結構みかけます。
ところが、ここ埼玉県ではその古レールを使ってアーチ橋を架けたのです。 その中でも3連のものは7基残っています。

まずは忍川に架けられた橋から見ていきます。

前屋敷橋  昭和8年頃?
忍川の一番下流に架かる古レール橋です。この橋は他の上流の橋より道路の幅が広く、レールも4列になっています(他は3列)。

堤根2号橋  昭和8年
堤根地区にある2橋はコンクリート製の桁のデザインが若干違う以外は同じ構造です。

堤根1号橋  昭和8年


樋上2号橋  昭和8年
のどかな田園風景の中に架けられた樋上地区の橋。

樋上1号橋  昭和8年
2号橋との距離は100mくらい。 よく見るとアーチの形状も構造も1号橋とは異なっています。 欄干のデザインもこちらのほうが凝っています。

樋上水管橋  昭和8年頃?
さらに30m上流には3連ではないけれどやはり古レールを用いた水管橋があります。
水管橋から下流を眺めます。 この美しい風景がいつまでも残っていてくれると良いのですが。


次は元荒川の古レール3連アーチ橋を見ていきます。

小谷橋  昭和7年
元荒川の古レールアーチ橋は忍川のものより規模が大きく欄干や親柱の装飾も手のこんだものとなっています。

笹原橋  昭和7年
小谷橋と同形状の橋ですが、欄干は新しいものになってしまっています。 やはりオリジナルのまま残していくのは難しいのでしょうか。

 ・渋井橋  昭和7年
最後の締めに渋井橋に来たのですが…。 ショック! 架け替えられていました。
というわけで、過去に撮った写真を載せておきます。 いつものことながら、もっとじっくり写真を撮っておけば良かったと後悔しました。 欄干は小谷橋と同じもので、 橋脚は旧橋のものをそのまま利用していました。


次回も埼玉県の近代化遺産を紹介したいと思います。





2015/07/13

松尾鉱山 緑ヶ丘アパート 〜 岩手県八幡平市

先日テレビで廃墟の番組を見たので突然の廃墟ネタです。興味ない方はスルーしてください。

豪華な西洋館やレトロなビルなんかも好きなのですが、実を言うと廃墟も好きなのです。 とは言っても普通の廃墟よりも廃隧道や廃線跡、廃鉱山などの産業遺産的なものがやはり好きなのです。

緑が丘アパートは昭和26年に完成したのですが、昭和47年に松尾鉱山が閉山した後も残されたままになっています。11棟あるアパートは鉄筋コンクリート造りで水洗トイレやセントラルヒーティングを備えていたそうです。

 緑が丘アパートを見る前に少し離れた所にポツンと残っている至誠寮跡へ来ました。 独身寮だったそうです。

いよいよ緑が丘アパートに近づいてみます。 軍艦島、摩耶観光ホテルと並んで是非とも見てみたい場所の一つでした。 かつてはこのアパート群以外にも学校・病院・娯楽施設などが建ち、「雲上の楽園」と言われたそうです。
遠くから見た時はわからなかったのですが、11棟のうち6棟のアパートは屋根付きの回廊でつながっています。
中央の大階段。 ここから左右に通路が伸びています。
各棟は「いろはに…」で区別されていたようです。
 途中ですれ違った3人組の人達に屋上へ行く階段がどこにあるか尋ねてみたのですが、彼らは安全のため階段は登っていないとのこと。 確かに途中危険な箇所もありました。


さまよい続けること数十分、来ちゃいました。 屋上に。 2本見える煙突はボイラー室のものです。 ん? 向かいの棟も屋上に登れるのか…。
 向かいの棟の屋上も制覇! いい眺め! でも高い所は苦手なので足がゾクゾクします。
 先程のアパートを眺めます。 端の方は鉄筋がむき出しになっています。 恐ろしい。
 右上にみえるのが最初に訪れた至誠寮です。 これで満足したので次の目的地に向かいました。

ここもいつまで残っているのかわからないけれど、機会があればまた訪れてみたいです。