2019/06/17

2019 GW 四国への旅 〜 その8

・5月4日  8日目
バイクもキャンプ道具も失ったので、松山のホテルで計画を練り直しました。

もう旅は諦めて、今日岡山まで移動して新幹線で帰るというのも考えましたが、あいにく指定席が5月6日しか取れませんでした(しかもグリーン車)。
ということで、2日かけて岡山方面に向いつつ、電車、レンタサイクル、カーシェアリングを駆使して旅を続けることにしました。

松山市で撮った唯一の写真。 愛媛県庁舎(昭和4年)。 精神的ダメージが大きすぎて他を周る余裕はありませんでした。



電車に乗って今治市まで来ました。 散策するためにカーシェアリングで車を2時間ほど借ります。

最初に訪れたのは美保の旧海岸護岸(明治20年頃)です。 切石布積の石護岸が500m以上続いています。 現在では海側は埋め立てられていて護岸の役目は終えていますが、物干し台として余生を送っています。

 次にやって来たのが今治ラヂウム温泉(大正8年)。 2014年から休業中ということで、前回訪問時(2013年)に中に入らなかったのが悔やまれます。

外観の写真を撮っていると入り口になにやら張り紙が貼ってあるのに気づきました。
こ、これは! 捨てる神あれば拾う神ありです。 落ち込んでいた気分が一気に回復しました。


開館まで1時間以上時間があったので、いったん駅前までもどり車を返却して、歩いて再び戻ってきました。

今回見学できたのは1回の浴場部分だけでしたが、将来的にはもっといろいろな所を見学してもらえるようにしたいとの事でした。

開業当初の浴場の壁面には職人の手によるマーブル模様が施されていたそうです。 今でも塗装の剥がれた所からその痕跡を見ることができます。  今とは全然雰囲気が違っていたんだろうなぁ。

今治市から特急に乗って一気に香川県の坂出市まで来ました。 坂出には今回の旅では訪れる予定はなかったのですが、以前から行ってみたかった場所がありました。
それが坂出人工土地(昭和43年〜)です。 何とも変わった名前ですが、コンクリートの人工地盤を築いて、その上に集合住宅や公園を整備するという斬新なものです。

その集合住宅たちがモダニズムを感じさせるデザインでとてもカッコイイです。

坂出市ではレンタサイクルを借りたので、街中を散策してみました。
坂出市郷土資料館・郷土資料館近くの住宅
高須商会・鎌田共済会郷土博物館

そんな中でもインパクトが強かったのが本町の水尾メリヤス。 まるで時が止まったかのよう。 昭和レトロ好きにはたまりません。

坂出港の方まで足を伸ばすと旧坂出港務所(昭和9年)があります。 ドーム付の塔屋が遠くからでも目を引きます。

もう一つ坂出港に残っている遺構が旧東大浜塩田護岸(昭和12〜20年)です。 ただ、確実な資料を見つけることが出来なかったため、おそらくこれだろうと思われるものの写真。

明日は坂出で車を借りる予定なのですが、本日の宿が丸亀市になってしまったので、移動します。

夕方までの僅かな時間で丸亀の近代建築を徒歩で周りました。
堀家時計店・寶月堂
大野写真館・重元果物店

松山市のホテルを出発するまでは意気消沈していたのですが、いざ建物を見だすとなんだかんだで楽しめました。 
バイクに関しては、帰りを自走する手間が省けたと自分に言い聞かせて、残り少ない旅を満喫することにします!

つづく

2019/06/09

2019 GW 四国への旅 〜 その7

・5月3日  7日目
朝、起きてみるとテントが朝露でびっしょりでした。 なかなか乾きそうにないので、朝食後にテントはそのままに内子町の散策に行きました。 Aさんは戻ってくる頃には出発しているかもしれないと言う事で、ここでお別れしました。

内子町といえば内子座が有名なのですが、2013年の訪問時に見学したので今回は寄りませんでした。
旭館・旧内子警察署
旧化育小学校(復元)
いったん内子町の中心部を離れ、北へ向います。
河内地区にある田丸橋(昭和19年) にやって来ました。 この地方に多く見られる屋根付きの橋です。 この橋はトタン屋根に改修されていたものを、地域住民の手によって杉皮葺きの屋根を復元したらしいです。 辺りの長閑な風景と相まって素晴らしい雰囲気を作り出しています。

さらに北上して石畳地区の弓削神社太鼓橋(昭和26年)に来ました。 こちらの屋根付き橋も素晴らしいです。 内子町を訪れることがあったら是非とも寄ってもらいたいです。

2つの屋根付き橋を堪能した後にキャンプ場に戻ってみると、もうAさんの姿はありませんでした。

いろいろ寄り道をしながら大洲市の長浜町にある長浜大橋(昭和10年)に来ました。 現在も可動している可動橋です。 今回2度めの訪問ですが、日曜日に行われるという橋の開閉にはまたしてもタイミングが合いませんでした。

対岸の駐車場に移動しようとしたところ、バイクに異変が! クラッチレバーを握ってもクラッチが切れません。 よく見るとクラッチケーブルが切れかかっています。 そういえばここに来る途中でクラッチを握った時に変な感触があったような…。

とりあえず見なかったことにして長浜大橋の撮影を続けます。

とはいえ撮影に身が入るはずもなく、早々に切り上げてロードサービスに電話してみました。 しかし、GW真っ只中で四国内のホンダドリーム店はすべて休業中。 近くのバイク屋や用品店にも電話してみましたが、無理でした。
2速から上はなんとかギヤチェンジできるのですが、このまま東京まで800kmの道のりを運転して帰るのは無理でしょう。

長浜大橋に着いてから3時間後…。 リタイヤです。 東京までのレッカー移動をお願いしました。 日が暮れるまでになんとかしたかったので、早めに決断しました。

荷物を送るために伊予市のヤマトの営業所までレッカー車に乗せてもらったのですが、走る予定だった夕やけこやけラインで気持ちよさそうにツーリングしているバイクを見るたびに気持ちが落ち込んでいきます。

着替えの入ったリュックとカメラバッグを残して、荷物を送った後は伊予市から松山市へ電車で向いました。 松山市内で1件だけ空いているホテルがあったので、今日はそこに宿泊します。
ちなみにロードサービスはレッカー距離無制限で、宿泊費用も1万5千円までサポートしてくれるので、金銭的な負担はそれほどでもありません。 ただ、バイクで四国一周という目的を達成できなかったのが無念でなりません。

しかもこの汚いブーツで新幹線に乗って帰ると思うと憂鬱です…。

さて、明日からどうしよう。

つづく


2019/06/02

2019 GW 四国への旅 〜 その6

・5月2日  6日目

今回の旅も折り返し点を迎えました。 予報ではGW後半は天気の良い日が続くので、ツーリングも楽しめそうです。

佐田岬のキャンプ場からそのまま西へ進み、佐田岬灯台(大正7年)に来ました。 灯台の下には「四国最西端」の碑がありました。

 佐田岬灯台の周辺には陸軍豊予要塞の佐田岬砲台跡も残っています。
司令部跡・移動式探照灯格納庫
穹窖砲台跡・三八式十二糎榴弾砲のレプリカ

続いてやって来たのは八幡浜市です。 2013年にも来たことがあるのですが、その時は下調べが不十分だった為、まだ見ていない建物がいくつもあります。

八幡浜市の近代建築と土木遺産たち。
美奈瀬橋と旧東洋紡績赤レンガ倉庫・梅美人酒造事務所
旧向灘郵便局・伊予銀行八幡浜支店
日本基督教団八幡浜教会・明治橋
愛媛蚕種株式会社事務所・大正湯

詳細不明の古そうな建物たち。

以前来たときにあった旧下司医院は解体されてしまったようでした。 残念。
2013年撮影

ここで時刻は12時半になっていました。 ここでいったん近代化遺産巡りを中断して四国カルストを目指します。 事前に色々とツーリングスポットは調べていて、四国カルストだけは天気が良くなったら行こうと計画していたからです。 

2時間後…。 意外と遠かったけれど着きました。 結構狭いくねくねの山道が続いたので疲れましたが、苦労して来たかいがありました。 天気が良いせいかバイクも車も多いです。

天狗高原でUターンして帰ろうかと思っていた時に、自分のバイクと同車種の色違いのバイクに乗っている年配の方(Aさんとします)がいたので、思わず話しかけてしまいました。 徳島の阿南市から来たそうで、途中にあった姫鶴平キャンプ場に泊まる予定だそうです。

しばらく立ち話をした後に「それではお気をつけて」とお互いに出発して、しばらく走っていたのですが、ふとバックミラーを見ると、姫鶴平キャンプ場を過ぎてもAさんがまだ後ろにいます。 
ちょうど渋滞で止まった時に話を聞いてみると、あまりに混んでいたので止めたそうです(笑)。 ということで、急遽キャンプ場を調べて、内子町のキャンプ場に2人で向かうことになりました。

最後に1ヶ所だけ写真を撮りに行きたい場所があるとお願いして、少しまわり道をして久万高原にある有枝橋(大正11年)に付き合ってもらいました。 
着いたらAさんは「ここ?」と不思議そうな顔をしていました(笑)。 絶景スポットとかじゃなくて申し訳ないです。

内子町の知清公園キャンプ場に着いたときには日が暮れかけていました。 河原の無料キャンプ場です。 橋を渡った向いに大きなスーパーがあって買い出しには便利です。

この後は2人で風呂と買い出しに行き、夕食を食べながらいろいろな話をしました。 Aさんは定年前に退職してハーレーで日本中旅をしてきたそうです。 北海道のおすすめキャンプ場もたくさん教えて頂いたので、次の北海道行きが楽しみです。

明日は内子町と大洲市を周って、夕やけこやけラインを通って伊予市まで行き、そこから高速を使って新居浜市の「東洋のマチュピチュ」別子銅山跡に行く予定です。 別子銅山は2013年にマイントピア別子までは行ったのですが、その先が雪で通行止めになっていて、行けませんでした。 
今度こそリベンジしたいと思います。

つづく