・8月14日 音別〜根室〜別海町
朝5時30分にキャンプ場を出発して釧路市街地へ向かいました。
最初に目指したのは「日本製紙釧路工場第一クラブ」。 おそらくこの建物ではないかと思うのですが、確信が持てません。
その隣に建っていた職員住宅のような建物。 とても令和の時代とは思えません。 まるで映画のセットのようです。
その他の釧路市内の近代建築。
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浪花町倉庫・炉ばた煉瓦 竹老園東家総本店・本行寺本堂 |
釧路市からお隣の釧路町に向かいます。 今回初めて知ったのですが、この2つは全く別の自治体だそうです。
釧路湿原の釧路川が分岐する地点に昭和6年竣工の「岩保木水門」があります。 木造の上屋が非常に渋いです。
水門の横から眺めた釧路湿原。 写真では今ひとつ広大さが伝わらないのが残念です。近くに残っている廃橋。 おそらく水門と同時期のものではないでしょうか。
釧路を後にして厚岸から「北太平洋シーサイドライン」を通って納沙布岬を目指したのですが、ここが今回の旅で一番楽しいルートでした。 シーサイドラインと言いつつ林の中を通る場所も多いのですが、そこを抜けて景色が一変する瞬間がたまりませんでした。
納沙布岬へ向かう前に落石岬へ寄りました。 ここには「落石無線電信局」の建物が残っています。
近代建築ではないのですが、せっかく来たので「落石岬灯台」へ行きます。 灯台へは木道を歩いて20分ほどです。
一面に広がる緑の中に赤帯の灯台が映えます。 ここは寄り道をして良かったです。
12時40分に納沙布岬へ到着。根室市に入るまでは曇り空だったのですが、納沙布岬のあたりは晴れていました。
昭和5年に竣工の「納沙布岬灯台」。 初代は明治5年に道内で最初に建てられた灯台だったそうです。納沙布岬からは歯舞諸島が肉眼でもはっきりと見えて、ちょっと感動しました。
根室の市街地に戻ってきました。
「明治公園」の前身は明治8年に北海道で2番めにできた牧場「根室牧畜場」で、園内には3基の煉瓦造りのサイロが残されています。
中央が「第一サイロ」で昭和11年、右が「第二サイロ」で昭和7年、左が「第三サイロ」で昭和11年建造です。 3基とも国登録有形文化財に指定されています。
その他の根室市内の近代建築と近代化遺産。
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本町埋立地の石畳・根室国後間海底電信線陸揚施設 吉田家倉庫・碓氷酒造倉庫 |
時刻は14時半、そろそろ宿泊場所を探さなければなりません。
北海道に着いてからGWの四国の旅で知り合ったAさんに連絡をして、おすすめのキャンプ場を教えてもらったので、その中の一つ「別海町ふれあいキャンプ場」を目指すことにしました。
別海町にある「旧奥行臼駅逓所」。 駅逓所とは、馬車の時代に宿泊・人馬継立・郵便など、昔の宿場の様な役割を担っていた施設です。
大正9年に建てられた駅逓所時代の北棟(奥の茶色い建物)と昭和15年に旅館として大きく改築された南棟と中央棟。
駅逓所のすぐ近くにある「旧標津線 奥行臼駅」。 昭和8年に建てられた国鉄の木造駅舎です。 プラットホームや線路などもそのまま残されています。
今日はここまでです。 「別海町ふれあいキャンプ場」はバイク専用のサイトがあって、買い出しも便利で温泉施設もすぐ近くにあり、とても良いキャンプ場でした。
本日の走行距離:313km
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