2018/06/24

消えていった近代建築たち

盆休みの北海道行きのフェリーチケット争奪戦を乗り越え、往復ともチケットが取れました!  本当は行きは新潟〜小樽、帰りは苫小牧〜大洗が希望だったのですが、数分で二輪枠は埋まってしまった模様…。 結果、行きは八戸〜苫小牧、帰りは苫小牧〜仙台という旅程となりました。 八戸、遠いなぁ。2日かけて東北巡りをしながら行くことにします。

ということで、気力・体力を温存するために現在お出かけを控えています。 ネタがないので、今はもう見ることができなくなってしまった近代建築たちを紹介したいと思います。

三信ビルディング(昭和4年)〜 東京都千代田区  ※2007年解体
これは残してほしかった建物です。 確か保存運動も起きたはずですが、あっけなく解体されてしまいました。 1〜2階の吹き抜け部分や円弧状のエレベーターホールなど素晴らしい建物でした。 先日、跡地に東京ミッドタウン日比谷がオープンしました。

 ・上野下アパート(昭和4年)〜 東京都台東区  ※2013年解体
同潤会のアパート群で唯一見に行くことが出来ました。 僕が近代建築に興味を持ったのが2004年からなので、既にほとんどが取り壊された後でした。 青山アパートなんかは学生時代なんかに何度も前を通っていたとは思うのですが、その頃は建物にも写真にも全く興味が無かったので仕方ありません(笑)。

 ・廿世紀浴場(昭和4年)〜 東京都台東区  ※2009年解体
台東区日本堤にあった洋風の銭湯です。 訪れた2005年の段階ではまだ営業していたようなので、入れば良かったです。

瀧山町ビルヂング(昭和4年)〜 東京都中央区  ※2010年解体
銀座6丁目のレトロなビルが集まる一角に建っていました。 玄関の上にはタコ?のようなレリーフがあります。

本郷館(明治38年)〜 東京都文京区  ※2011年解体
東京大学近くに建っていた木造3階建ての下宿屋です。 訪れたときも現役で使われていました。

慶應義塾大学病院別館(昭和7年)〜 東京都新宿区  ※2009年解体
現在も残っている信濃町メディアセンター、医学部予防医学教室と3棟並んで建っていました。 3棟の中では一番モダニズムを感じさせる建物でした。

明石小学校(大正15年)〜 東京都中央区  ※2010年解体
カトリック築地教会の向かい側に建っていました。 関東大震災の後に建てられた「復興小学校」の一つです。 新しい校舎の玄関は旧校舎のデザインを踏襲したものになっています。
新校舎

東京女子医科大学病院 1号館(昭和5年)〜 東京都新宿区  ※2016年解体
2017年2月に近くにある小笠原伯爵邸を見学に行った時に、ついでに写真を撮りに行こうと寄ってみたら更地になっていてびっくりしました。 この河田町キャンパスは1号館の跡地を含めた全体を9年かけて再整備するそうです。

 ・両国公会堂(大正15年)〜 東京都墨田区  ※2015年解体
こちらも「いつの間にか解体されてた」シリーズです。 旧安田庭園から眺めるドーム屋根が好きだったのに残念です。


今回は東京都の建築を選んで紹介しました。 いつになるかはわかりませんが、次回は他の地域の失くなってしまった近代建築を紹介したいと思います。

2018/06/16

続・消えていった近代化遺産たち

突然ですが「消えていった近代化遺産たち 」の第二弾です。

刈谷橋(昭和9年)〜  愛知県刈谷市  ※2014年撤去
橋の老朽化と新しくバイパスが出来た事により解体撤去されてしまいました。 中央部分だけ高欄がオリジナルのまま残されていました。 親柱のデザインも非常に凝ったものとなっています。

境橋(昭和9年)〜  愛知県刈谷市・知多郡東浦町  ※2014年撤去
刈谷橋と連続して架けられていたのがこの境橋です。 親柱のデザインは刈谷橋と共通ですが、こちらの高欄は鉄製の格子が入ったものとなっています。

大谷口給水塔(昭和6年)〜  東京都板橋区  ※2005年解体
この写真を撮ったのが2004年だったので、これが最初で最後の訪問となってしまいました。 同じようなデザインのものが東京都中野区と千葉県松戸市にあります。

旧名鉄揖斐線 伊自良川橋梁(大正3年)〜 岐阜県岐阜市  ※2009年撤去 
2005年に廃線となった名鉄揖斐線の橋梁です。 訪れた時はすでに廃止された後でした。 貴重なトレッスル橋脚の橋だったので、失くなってしまったのが残念です。

 ・昭和橋(昭和4年) 〜  福岡県朝倉市  ※2010年架替え
筑後川に架かっていた県道52号線の橋です。 隣は工事中になっていてすでに新しい橋の
 橋脚が完成していました。


JR鹿児島本線 折尾駅舎(大正5年) 〜  福岡県北九州市八幡西区  ※2012年解体
駅弁「かしわめし」で有名な折尾駅ですが、残念ながら解体されてしまいました。 この時はかなりの過密スケジュールだったので、「また今度来ればいいや」と早朝に外観だけ撮って移動してしまいました。 まさか解体されるとは思ってもみませんでした。 駅の内部、煉瓦の連絡通路、ホームなどもっと見ておけば良かった…。

妹尾川三連樋門(明治37年)〜  岡山県岡山市  ※2013年撤去
2014年に再訪した時には跡形も無くなっていましたが、最近になって当時を偲ぶモニュメントが設置されたようです。


 また気が向いたら第3弾を投稿したいと思います。



2018/06/10

万世大路 再訪 〜 その4

間が開いてしまいましたが、万世大路の続きです。

米沢側のスタート地点であるの採石場に来ましたが、ゲートが閉まっています。 GW期間で休業しているのでしょうか。 明日出直そうかとも思ったのですが、とりあえず事務所のあるところまで歩いて行ってみることにしました。

20分ほど歩いて到着しました。 会社は操業していたので、従業員の方に声をかけて敷地内を通らせてもらいました。


スタート地点の瀧岩上橋です。 以前はここにバイクを停めて出発しました。 なんでも16時には会社が終業してしまうとのことでしたが、現在時刻は13時30分。 行って戻ってギリギリ間に合うかどうか。

 橋から少し行った所でチェーンが張られています。 今回ゲートが開いていれば行けるところまでバイクで行ってみようと思っていたのですが、どっちみち無理でした。

栗子隧道までは4.1km。福島側よりは全然歩きやすいです。

途中には所々で案内柱が立っています。 「長坂」というのは前回見落としていたかも。

 中間地点には新しく休憩所が設けられていました。 このあたりですでにかなり体力を消耗していました。 流石に1日で福島側と米沢側の両方は無理があったか。

 後半の道のりでは前回なかった案内柱もありました。 写真は「切通し」と「石積」。

 1時間歩いた所でようやく栗子隧道が見えてきました。 前回は午前に来て逆光であまりいい写真が撮れなかったので、無理して午後に来てみたのですが、どんよりとした天気であまり意味がなかったかもしれません。

と思ったのですが、何枚か写真を撮っていると晴れ間が見えてきました。 やはり日頃の行いが(以下略)。


こちらが昭和11年に竣工した2代目の坑口。 やはり米沢側の写真を撮るなら午後のほうが順光でおすすめです。




2代目栗子隧道の内部。入ってすぐの所で崩落しています。

 こちらは明治13年に竣工した素掘りの初代栗子隧道の坑口。 もとは四角い坑道だったらしいのですが、現在では崩落して原型をとどめていません。

 
採石場に戻ってきたのは16時ちょうどでみなさんが帰り支度をしている頃でした。
帰りにゲートの所で従業員の方が通るときに、鍵を開けてまた閉めていたので、もしかしたら以前のように開けっ放しにはしていないのかもしれません。 アポを取る必要があるのか、ゲートから歩いていくしかないのかは判りません。 これから行こうと思っている方は注意が必要です。
地味に帰りの瀧岩上橋からゲートまでの徒歩がきつかったので。

今回は朝から6時間近く20km以上歩いたので、ヘトヘトになりました。 でもこれで富山県の仙人谷ダムに向かう「水平歩道」(18km・平均所要時間5時間)を自分でも行けるんじゃないかという気がしてきました。 いつか必ず行くので期待していてください。