2015/10/19

琵琶湖疏水(その4)〜 京都府京都市左京区

蹴上の疎水公園には、21歳という若さで工事の主任技師に任命された田辺朔郎の銅像が立っています。 琵琶湖疏水、その水を利用した日本で最初の水力発電所の建設は京都の近代化を大きく進めました。 それも田辺朔郎という土木技師の偉大な功績があったからこそです。

 ・琵琶湖疏水 合流トンネル(吐口)  明治45年
疏水公園の近くにあります。 柵があって近くで見ることは出来ませんが、扁額には田辺朔郎の筆で「藉水利資人口」 (自然の水を利用して,人間の仕事に役立てる)ときざまれています。

少し水路沿いに歩いて行くと蹴上発電所の水圧鉄管が見えてきます。 疏水の水はここから蹴上発電所を通って市街地の方に流れていきます。

旧蹴上発電所(2代目)  明治45年
今回は寄らなかったので以前撮った写真です。 日本で最初の水力発電所であった初代の蹴上発電所は明治30年の完成でした。
2014年1月撮影

蹴上発電所の取水口から先に進んでいくと、疏水分線の水路が見えてきます。 この道を進んで行くと南禅寺水路閣の上にたどり着きますが、今回は一旦戻ってインクラインを歩いて下っていきます。

 インクラインを歩いて行くと煉瓦のトンネルが見えてきました。

粟田口隧道  明治21年
蹴上駅から南禅寺に行くにはこのトンネルを通って行きます。 インクラインと下の通路は直角に交わっていないので、内部は「ねじりまんぽ」と呼ばれるねじれたような煉瓦の積み方になっています。
 北側坑口には当時の京都府知事 北垣国道の筆で「陽気発処」、南側坑口には「雄観奇想」と書かれています。

 ようやく今回の旅のゴール(実際にはスタート地点)である南禅寺に到着です。 なぜ南禅寺スタートにしたかというと、早朝は人が少ないというのと、逆光気味になってしまうので日が昇る前がいいだろうと判断したからです。

南禅寺水路閣  明治21年
先程の水路沿いの道を歩いて行くと水路閣の上に到着します。
誰もいません。まだ真っ暗な中、自転車で山科まで行き、始発の電車で来た甲斐がありました。
 今回写真を撮り忘れましたが、水路閣の先には第五隧道があり、その先は哲学の道へと続いていきます。
2014年1月撮影

夷川発電所  大正3年
一方、市街地を西へと向かった琵琶湖疏水の本線は、途中で夷川発電所を通って鴨川へと流れていきます。
2014年1月撮影

以上で今回の「琵琶湖疏水チャリツアー」は終了です。現在でも京都に貴重な水資源を提供し続けている琵琶湖疏水ですが、観光船が通るようになれば観光資源としても重要なものになっていくでしょう。
近い将来、自転車ではなく船に乗って大津から蹴上まで行けるのを楽しみに待ちたいと思います。





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